失敗−起業家にとっての失敗とは?
成功とは、成功するまで失敗した結果である。
 起業家は歴史に残るような大成功の裏で当然失敗を数多くしてきている。
 失敗のない成功なんてありえない。言い古された言葉だ。これはIT全盛の今も変わらない。
 失敗を起業家はどう捉えているかをみてみる。
本田宗一郎
●大手自動車メーカー本田技研工業の創業者
●第二次大戦前は東海精機という現在のトヨタ系機械メーカーを経営

 周囲の反対をよそに軽飛行機の免許をとり3回墜落したり、結婚披露宴に芸者を上げたりという型破りな人生。

「多くの人々は皆成功を夢見、望んでいるが、成功とは99%の失敗に支えられた1%だと考える」
本田はこう言っている。能力の限り未知の荒野に飛び込み、失敗しても原因を徹底的に分析していくことで最後の成功という結果に達することができるのだという。
 このため本田技術研究所では、新製品のほかに「失敗」に対しても表彰しているという。


松下幸之助
●「ナショナル」、「パナソニック」ブランドの松下グループの創業者
●三男五女の末っ子だが、若くして両親ともども病気で失う。
●終戦直前には社員も24,000人の一大グループに成長。

●戦後GHQから「財閥指定」を受け、倒産の危機に陥り「物品税の滞納王」と新聞に騒がれたことも
●義理の弟に三洋電機の創業者井植歳男(元松下電器副社長)がいる。

 松下も著書「実践経営哲学」の中で「ひとたび志を立てた事をはじめた以上、少々失敗したからといってあきらめてはいけない。」と言っている。
「めげることなく辛抱強く、地道な努力を重ねていくことではじめて物事を成し遂げることができる」とも言っている。
 そして、道にかなったことである限りは、ひとたび志をたてた以上、最後の最後まであきらめない、成功とは成功するまで続けることということを心に止めて生きていくべきと訴えている。


豊田喜一郎
●トヨタ自動車ほかトヨタグループの創業者
●父は世界的な自動紡織機の発明家である豊田佐吉。

●当時三井、三菱といった財閥さえも二の足を踏んだ自動車産業への進出を決意。
●創業者は「トヨダ」だが、車の名前は字画数、ごろなどから「トヨタ」となった。

 豊田も「まずできるかできないかを言わずやってみろ」が口ぐせであったと言う。自動車製造は皆素人であり、未知の仕事の挑戦するには、部下に任せ、まずやってみるしかなかたったのである。


中内功
●言わずとしれたダイエーグループ創始者
●グループ売上5兆円の企業を一代で築く。ローソンやプランタン銀座を手がけたほか、マルエツ、忠実屋、ハワイのアラモアナショッピングセンター、リクルート等の経営権も獲得。

●積極拡大策が裏目に出たことと、消費者行動の変化を見誤り、現在ダイエーは経営不振に。

 中内も失敗は授業料と考えている。そして努力しないで失敗したのを真の失敗と言い、失敗しない人というのは概して何もしない無能な人の場合が多いとも言っている。


伊藤雅俊
●東京千住の洋品店であった「羊華堂」の家業を継ぎ、イトーヨーカ堂グループに育て上げる。
●イトーヨーカ堂、セブンイレブン等の名誉会長

●「商売は売れなくて当たり前」が身上。

 伊藤も、行動を起こす前に失敗を怖がってしり込みしては、失敗は避けられても進歩がない、くじけず前進する心構えが必要だと言っている。


鈴木敏文
●米国よりセブンイレブンを周囲の反対にあいながらも導入し、1万店舗余りのコンビニエンスストアに育て上げる。
●1991年には米国の「セブンイレブン」の本家サウスランド社を買収する。

●イトーヨーカ堂の業革にも成功。日本最大のスーパーに。
●セブンイレブンを始めた頃は、広報人事担当役員で、イトーヨーカ堂が新規出店する際の商店街との折衝をしていた。つまり販売の経験はなかった。トーハン時代に3年間、調査研究に携わり統計学・心理学を学んだという

 鈴木も、「前向きの姿勢で挑戦し、その結果が失敗であったとしても、それをとがめるようなことはしてはないらない」と言っている。 変化の激しい今において取り残されないようにするには、他人がやっていない新しいことに挑戦し続けなければならず、そしてこれには相当の勇気と努力を要する、と考えるからである。


安藤百福
●カップラーメンの最大手日清食品の創業者
●カップヌードル、チキンラーメンの生みの親

●チキンラーメンをアメリカに売りに行った際、アメリカにどんぶりがないことから、容器に入った即席めん(カップヌードル)の製造を思いつく。

 安藤も、日清食品を創業するまで、事業失敗を繰り返している。安藤はこう言う。
「苦境に陥ったら、自分で考えた抜け出す方策を実行してみることだという。次の失敗を恐れていては、チャンスを永久にモノにすることはできないし、体験も増えない。体験や失敗の積み重ねでが常識を超える力を発揮させてくれる。」
 

藤田田
●外食産業日本一の日本マクドナルド創業者。
●大学時代からGHQ相手の通訳、貿易会社を手がける。
●別名「銀座のユダヤ人」。GHQ時代のユダヤ人軍曹に影響を受ける。

●常勝経営のカリスマとして知られている。
●「勝てば官軍」がモットー

 藤田は「常勝経営」と言われているが、著書「天下取りの商法」の中でこう述べている。
「今でこそマクドナルドは旭日昇天の勢いで伸びているとうらやましがられるが、人には言えない紆余曲折があったのも事実だ。、そんなとき私は自分に『夜の次は朝だ。今は夜だが、かならず朝が来る。』といいきかせ歯をくいしばって頑張った。そうやって暗い夜のトンネルをくぐりぬけたのだ。」

柳井正
●カジュアルウェア販売店「ユニクロ」を経営するファーストリテイリングのCEO
●「ユニクロ」とは「ユニーク・クロージング・ウェアハウス」の略。
●社名である「ファーストリテイリング」は「早い(FAST)+RETAILING(小売)」の意味。

 柳井も著書「一勝九敗」の中で「新しい事業は失敗することがそもそも多い。失敗は誰にとっても嫌なものだ。しかし、蓋をしたら最後、必ず同じ種類の失敗を繰り返す。失敗は単なる傷ではない。失敗には次につながる成功の芽が潜んでいるものだ。」と言っている。


増田宗昭
●日本最大のメディアチェーン「TSUTAYA」の創業者。
●「蔦屋」は祖父がやっていた事業の屋号であったが、江戸時代地本問屋をやっていて、東洲斎写楽などを世に送り出したとされる蔦屋重三郎という人物がいることを偶然知り、それを由来ということにしている。

●元々はファッション専門店鈴屋で軽井沢ベルコモンズなどの店舗開発を手がけていた。
●早くから情報データベースの価値に着目し、資本金100万円の会社の頃から、1億円のコンピュータを導入して、フランチャイズの情報武装を進めた。
●料理店に入ればたちどころにその店のP/Lを作れるという。

 増田は、撤退はグズグズせず、早ければ三ヶ月で決断するという。これは手探りで行動せず、仮説を立てて行動しているから、原因がすぐわかり、補正できるかどうかもすぐわかるからだという。


稲盛和夫
●一代で京セラ、KDDIグループを起こす。
●盛和塾主宰。若手経営者の育成。
●京都サンガのスポンサー

 稲盛も成功した人としなかった人の差は紙一重だといい、成功しない人には粘りがないとも言っている。
 うまくいかなかったときにすぐにあきらめてしまう、努力はするのですが、人並みの努力にとどまり、壁に突き当たると体裁の言い理由をつけ、自分を慰め、断念してしまうのだという。


井深大
●学生時代の「走るネオン」という製品がパリ万博で金賞を獲得
●白木屋(少し前の東急日本橋店)の一室で東京通信研究所(現在のソニー)をスタートさせる
●共同創業者の盛田昭夫とは戦争中の兵器研究の技術者交流で知り合う。

 井深も何でも、トライしてみないと気がすまなかったという。失
敗を繰り返すことで、世界的に評価されるテープレコーダーやトランジスタラジオをつくったのである。
 まず、自分の可能性を信じて、飛び込んでみる。成功するまであきらめない、同じ失敗は2度としないよう原因の究明は徹底的に行う。成功するまで失敗をトライ&エラーを繰り返すことで、真の成功が得られる。